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東京高等裁判所 昭和61年(う)944号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人上田誠吉の提出した控訴趣意書及び弁護人根岸義道外一一名連名で提出した控訴趣意書、東京高等検察庁検察官辻田耕作の提出した控訴趣意書(横浜地方検察庁検察官小林幹男作成名義)に記載されているとおりであり、検察官の控訴趣意に対する答弁は弁護人根岸義道他七名が連名で提出した答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。

第一弁護人の各控訴趣意について(以下、上田弁護人提出の控訴趣意書を「上田弁護人の控訴趣意」、根岸弁護人外一一名連名で提出の控訴趣意書を「連名の控訴趣意」と略称する。)

一公訴権濫用の主張(連名の控訴趣意第一)

所論は、要するに、本件は捜査機関が被告人に対し異常な捜査を行い、起訴価値がないのに不当な差別をして起訴したもので、著しく正義に反し、公訴権を濫用したものであるから、刑訴法三三八条四号により本件公訴を棄却すべきである、というのである。

しかしながら、本件公訴提起が所定の手続に従い適法適式になされたことは明らかであるし、原判示文書の形状、記載内容、頒布状況等違反の態様(但し、後記三の4で説示の限度で。)、被告人と被頒布者との関係に徴すれば、これが起訴価値がないとはいえないし、もとより本件公訴の提起自体が検察官の職務犯罪を構成するなど公訴権の濫用に当ることを窺わしめるに足る事実も認められないのであるから、この点につき原判決が説示するところは結論において相当であり、原判決の右判断に判決に影響を及ぼす違法のかどはない。論旨は理由がない。

二訴訟手続の法令違反について(連名の控訴趣意第五)

所論は、要するに、原判決がその添付別表(以下単に「別表」という。)番号6(以下単に「番号6」の例により表示する。)7、8、10の関係の証拠物の押収手続を違法と判断しながらこれに証拠能力を認めたのは判決に影響を及ぼすこと明らかな訴訟手続の法令違反にあたる、というのである。

そこで検討するに、これら証拠物の押収手続の事実関係自体は原判決が「六 証拠物の押収手続について」の3ないし6において認定するとおりであり、若干敷衍すれば、被頒布者らはいずれも選挙権を取得したばかりの者で、所論指摘の各証拠物すなわち封書とこれに同封されたがり版刷り文書ないしビラ類は、番号6につき小川裕子の自宅で同居の実母小川律子から、同7につき和田紀子の自宅で同居の実母和田博子から、同8につき芦沢緑の実家で祖母芦沢ミクニから、同10につき有田まゆりの自宅で同居の実父有田均から、担当警察官が任意に提出を受けて領置したものであつて、その手続自体に何ら違法はなく、当時封書はいずれも開封済で提出者において内容了知のものであつたこと、なお、芦沢緑は本件押収時東京に出ていたものの週一回程度は実家に帰宅していたもので、その留守中届けられる同女宛の郵便物については芦沢ミクニが開封し緑に電話連絡し内容を伝達することもあつたこと、有田まゆりは本件押収時は東京消防庁の学校に入寮のうえ通つていたこと、以上の右各提出者は右提出に当り被頒布者の意思を確認してはいないものの、その後被頒布者及び提出者から異議や返還請求がなされた形跡はないことが認められる。

ところで、原判決は前示各証拠物は被頒布者宛の郵便物であり、任意提出を受けるについては本人の帰宅を待つなどしてその意思を容易に確認できたと認められるから親や祖母といえどこれを任意提出する権限を有する保管者といえず、その押収手続は違法であるとしているのであるが、本人の意思の確認の難易性は提出行為の違法の有無を左右するものではなく、原判決の右説示には左袒し難いところ、右提出者はいずれも成人して間のない被頒布者の親ないし祖母であり、かつ右被頒布者はこの親と同居し、あるいは実家に住所を留め、不在中は親ないし祖母にその留守を預けていたものであるから、これらの者は被頒布者の不在中はその居宅内にありあるいはその支配下に入つた物につきその物の具体的内容を把握したうえ被頒布者の合理的意思を忖度しこれを処分する権限を含め物の保管をも任されていたものというべく、従つて刑訴法二二一条所定の保管者に当ると解するのが相当である。そして各証拠物の内容や前示押収の経緯に徴すれば、前示押収手続を違法としなければならないような特段の事情も何ら認められないのであるから、前示各押収手続に違法はなく、これを違法とした原判決の説示自体が誤りであつて(もつとも、原判決は結論において証拠能力を認めているから右誤りは判決に影響がない。)、右誤りを前提とした所論は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がない。論旨は理由がない。

三事実誤認ないし理由不備の違法(連名の控訴趣意第九の一ないし四)

所論は、要するに、

1  公職選挙法(以下「公選法」という。)一四二条(昭和五七年法律第八一号による改正前のもの。以下、特にことわりなき限り同じ。)の頒布とは被頒布者への到達を要件とするものであるところ、原判決が、別表番号6の小川裕子、7の和田紀子、8の芦沢緑、10の有田まゆりについては同表記載の各文書が到達したことを認めるに足る証拠がないのに、これら四名についても頒布がなされた旨認定したのは、事実を誤認したものであるし、仮に被頒布者の住所に配達されたことをもつて頒布と解したのであれば同条の解釈を誤り、法令の適用を誤つたものである、というのである。

しかしながら、同条にいう頒布というためには、当該文書が相手方の住所もしくは連絡場所等に到達し、相手方においてこれを閲覧し得る状態におくことが必要であり、かつそれで足りると解すべきである。いまこれを本件についてみると、前記二に認定の事実からも明らかなとおり、芦沢緑以外の三名は別表記載の被頒布場所を住所としていたこと、芦沢についても当該被頒布場所を完全に離れた訳のものではなく、なお住居と認めて差し支えなく、少くも郵便物の送付場所と認めるにつき支障のないことは明らかであるところ、本件文書が右番号記載の被頒布場所に配達されて到達し、被頒布者において了知しうる状態になつたと認めるに十分であるから、原判決に所論のような違法は存しない。

2  原判決認定の頒布年月日は、別表番号1、11、15を除き、証拠上その配達日が明らかでないから、事実を誤認したものである、というのである。

しかしながら、本件衆参両議院議員選挙の投票日が昭和五五年六月二二日であり本件がそれ以前に右投票に間に合うように投函されたものであること、被告人はいずれも横浜市内から郵送にて本件文書を送付したもので、その郵送先は別表から明らかなとおり同市内であること、別表番号1ないし11の封書の差し出し日は同月一二日と一四日のみであり、一二日に差し出したものは同月一三日か一四日に、一四日に差し出されたものは同月一六日か一七日に到達していること、番号13、14については投票日の一〇日位前との、番号12についてもよく分らないが投票日の一〇日か二週間前か、との、各番号該当の被頒布者の証言も存することを総合し、かつ原判決の頒布年月日の記載も「ころ」としていることを併せ考えれば、原判決の頒布年月日の表示に一日前後のずれがあるとしてもこれをもつて直ちに事実の誤認があるとまではいえない。

3  原判決別表番号1の①のがり版刷り文書一通(以下「file_3.jpgの文書」という。)のほか四種の文書(別表番号1の②のすやま圭之輔の氏名、経歴等が記載された写真入りビラ一枚、同③の小泉初恵の氏名、経歴等が記載された写真入りビラ一枚、同④のすやま圭之輔ら七名の氏名、経歴等が記載された写真入りビラ一枚、番号2の③の山中いく子、小泉初恵両名の氏名、経歴等が記載された写真入りビラ一枚(以下、順次「file_4.jpgfile_5.jpgfile_6.jpgfile_7.jpgの文書」という。)をも選挙運動用文書と認定しているが、右file_8.jpgfile_9.jpgfile_10.jpgfile_11.jpgの文書には投票依頼文言はなく、特にfile_12.jpgfile_13.jpgfile_14.jpgの文書については選挙に関連する記載も存せず、これらは単なる政治活動用文書に過ぎないのであるから、原判決には事実の誤認ないし法令適用の誤りがある、というのである。

しかしながら、例えばfile_15.jpgについては「「教育問題に精通した政治家」と折紙つきです。」、「私は……日本共産党の代表として、……国民の利益を守り抜き、新しい日本を作る決意です。」との文言が、file_16.jpgについては「神奈川県から婦人の政治家を」、「婦人の願いを国政へ」、「革新統一の推進力、日本共産党の躍進を」との文言が、file_17.jpgについては「日本共産党の躍進で清潔な新日本」を、「衆議院、参議院選挙予定候補者一らん」との文言が、file_18.jpgについては「これがホントの革新政治家です。」、「台所の声を国政に」、「山中いく子さんと力を合わせて80年代に国政での革新をかならず築きます。」との文言が、各記載され、file_19.jpgについては原判示陶山圭之輔の、file_20.jpgについては同小泉初恵を中心に同山中いく子も併せて、file_21.jpgについては右三名を含む日本共産党公認候補者の、file_22.jpgについては右山中を中心に小泉も併せて、それぞれ顔写真入りで紹介しているのであつて、その外形、内容それ自体から、これらがいずれも選挙運動のため使用する意図が容易に推知できるばかりでなく、これらはいずれも独立して配付されたものではなく、原判示各選挙への投票依頼を明言するfile_23.jpgの文書と一体となり封書に同封のうえ配布されたものであるから、file_24.jpgないしfile_25.jpgの文書が選挙運動用文書であることに疑いを容れる余地はない。

4  被告人が別表番号3、6、7、12、15の被頒布者に配布した文書中には小泉初恵、山中いく子に関する文書が、また番号13の被頒布者に配布した文書中には山中いく子に関する文書が存在しないのに、これら被頒布者への文書配布についても小泉初恵、山中いく子に当選を得させる目的があつた旨認定した原判決には理由不備若しくは理由そごの違法がある、というのである。

そこで検討するに、まず別表番号13については原判決が認定判示するfile_26.jpgの文書中に山中いく子についての記載もあることはさきに3において認定したとおりであるから、原判決に所論のような違法はない。次に番号3、6、7、12、15関係についてみるに、頒布文書として原判決が認定しているのは、番号3、6、7につき、file_27.jpg、file_28.jpgの、番号12、15につきfile_29.jpgの、各文書のみであるところ、file_30.jpgは専ら陶山候補に関するものであり、file_31.jpgも主に陶山候補に関するもので、その文中に原判示衆参同日選挙につき「同封のパンフレットの候補者への支持をお願いしたく……。」、(陶山候補と同様)「参議院議員についてもご同様にお願い申し上げます。」との記載があるにとどまり、右file_32.jpgの文書のみからは右の参議院議員が誰かを推知することはできない。もつとも、file_33.jpgの文書において被告人が意図した参議院議員候補が山中いく子と小泉初恵であること自体は関係証拠に徴し明らかではあるし、被告人が頒布した文書はfile_34.jpgないしfile_35.jpgに限られていること及び前示file_36.jpgの文書記載の「同封のパンフレットの候補者への支持をお願いしたく………」との文言に徴すると、同封のパンフレットとしてfile_37.jpgないしfile_38.jpgの文書の少くも一枚は同封しているとの疑いもないではないが、番号3、6、7についてはそれがfile_39.jpgの文書だけの可能性も否定できないし、番号12、15については被頒布者らの同封文書について供述するところがあいまいであつて、両者ともfile_40.jpgないしfile_41.jpgの文書が同封されいたと断定するに足りる資料のないことからすると、山中いく子、小泉初恵の関係でもfile_42.jpgの文書が法定外文書に当ると認めることは出来ないというほかなく、この限度で原判決は事実を誤認したものといわざるをえないが、陶山候補の関係でfile_43.jpgの文書が法定外文書に当ることに変りはなく、かつ右誤認は原判決が包括一罪と認定した犯罪事実の軽微な一部に過ぎず、判決に影響を及ぼすようなものではないから、右程度の証拠との些細な喰い違いはあつても、これをもつて理由不備、理由そごに当るとはいえない。

以上のとおりであるから、右論旨はいずれも理由がない。

四法令適用の誤り(連名の控訴趣意第八、第六、第七)

所論は、要するに、

1  原判決が、被告人に違法性の意識が存在しないことを認定しながら被告人を有罪としたのは法令の適用を誤つたものである、というのである。

ところで、被告人が本件文書を配布するに至つた経緯として、当初男子生徒を中心に電話で投票依頼していたところ、これが伝達手段としては必ずしも満足できるものでなく、また年頃の女子に電話することのためらいや配慮もあつてこれが公選法に違反することを知らずに本件頒布行為に及んだものである旨供述する点も、本件違反の規模が小規模であることや被頒布者中に警察署に勤務する者もいること、差出人である自己の氏名を明記していること等に徴し、いちがいに排斥できないところであるとはいえ、被告人は大学を卒業した県立高校の社会科教諭で、しかも昭和五四年秋の衆議院議員選挙時から神奈川県第一区から立候補した日本共産党公認候補陶山圭之輔の当選を希求して選挙に関心を抱き、当時においても身近な人に支持を依頼したことがあり、本件選挙に際しては同候補の後援会にも加入し、本件文書の頒布に至つているもので、file_44.jpgの文書は被告人作成にかかるものであるが、file_45.jpgはすやま圭之輔後援会、file_46.jpgは山中いく子、小泉初恵全県後援会、file_47.jpgは日本共産党神奈川県委員会、file_48.jpgは不明なるも山中、小泉の支持者ないし団体の発行にかかる文書であることに徴すれば、本件文書の頒布が公選法に違反することを知らず、そのため違法性の意識を欠くことがあつたとしても、その可能性のあつたことまでをも否定することはできず、これを欠いたことに相当の理由があつたとは認められないのであるから、被告人の責任を阻却するいわれはない。

2  原判決は被告人の本件文書の配布が公選法一四二条の「頒布」に当るとして同条を適用しているが、同条にいう「頒布」とは不特定かつ多数の者に対する配布をいうところ、本件配布先は被告人がかつて高校で担任したクラスの教え子で、被告人と個別的な人間関係があるから不特定とはいえないし、一五名というのも多数とはいえず、従つて本件配布行為をもつて右「頒布」に当るとした原判決には法令適用の誤りがある、というのである。

しかしながら、公選法一四二条にいう「頒布」とは原判決説示のとおり不特定又は多数の者に配布することはもとよりその目的でその内の一人以上の者に配布することをいうと解されるところ、同条項の趣旨に徴すれば、本件一五名といえど多数といつて妨げないし、被頒布者らは鶴見高校に在籍中被告人が担任を受け持つたクラスの生徒であつたというにとどまり、被告人はもとより被頒布者相互の間においても右関係以上に特段の社会的連携があるわけではないから、やはり不特定の者というべきであつて、被告人の本件文書配布行為が右「頒布」に当ることは明白である。

3  原判決は被告人を公選法一四二条に問擬しているが、被告人の本件行為はその目的が表現の自由、参政権行使の問題に帰するもので、その態様も配慮に富むもので、被頒布者の権利、参政権を実質的に充足しこそすれその法益を侵害することはなく、なお被告人もこれが法定外文書に当ることも知らなかつたものであつて、可罰的違法性を欠くものであるから、原判決には法令適用の誤りがある、というのである。

しかしながら、所論指摘の諸点を考慮しても本件違反の態様、違反文書の内容、枚数、被告人と被頒布者との関係等に徴すれば、これが公選法一四二条の構成要件が予想する可罰的違法性を備えていること明らかというべきである。

以上に説示するとおりであるから、原判決には所論のような法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

五憲法二一条違反(上田弁護人の控訴趣意及び連名の控訴趣意第二)

所論は、要するに、公選法一四二条が憲法二一条に違反した無効な規定であるのに、これを合憲有効な規定として解釈適用した原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令適用の誤りがある、というのである。

そこで検討するに、選挙運動として行われる文書(図画も同じ。)頒布も政治的意見の表明ないし表現活動であるから、憲法二一条一項の表現の自由の保障を受けるものであることはもとより、手段・方法としても簡便で、しかも演説に劣らず有効であつて、憲法のとる議会制民主主義制度、そしてそのための選挙制度のもとにおいて、立候補者ないし選挙運動者が選挙人に十分に主義・主張を披瀝し、あるいは立候補者の人物像を明らかにするため、また選挙人が投票意思形成のための十分な資料の提供を受けるため、多くの手段の中でも重要な機能を果しうるものであつて、基本的人権としてはもとより、民主政治の健全な発達のためにも、これが十分尊重されなければならないことは多言を要しないところである。

しかしながら、憲法二一条も表現の自由を絶対無制限に保障しているものではなく、特にそれが表現行為を通し本来的に他との係わりを内蔵していることにも徴すれば、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限がおのずから存すると解されるところ、憲法は、国民主権を宣言し、その主権の行使に当り議会制民主主義制度、そしてそのための選挙制度を採用し、正当に選挙された代表者に国政を信託することとしたこと(前文、一五条一、三項、第四章)、すべて国民は法の下に平等であつて政治的関係においても差別されることがない旨宣言したこと(一四条一項、なお一五条三項)、両議院の選挙に関する事項は法律で定めることとしたこと(四四条、四七条)に加え、両議院の議員及び選挙人の資格につき特に一か条を設け、一四条一項に列記の人種、信条、性別、社会的身分、門地のほか教育、財産、収入をも例示して、差別の禁止を期しているのであり(四四条)、これらによれば、憲法は我が国の歴史的経過をも踏まえ、議会制民主主義の基盤である選挙制度が確立され、選挙が選挙人の自由に表明する意思によつて公明かつ適正に行われるよう選挙人の自由意思の形成と選挙の公正の確保(公選法一条参照)に強い関心を示すと共に、選挙制度が多分に技術的性格を有することや正当に考慮さるべき他の諸要素との調和を図らねばならないところから選挙制度の仕組みの具体的決定は国会の定める法律に委ねたものと解されるのである。従つて、選挙運動においては、立候補者側の表現の自由の確保と同時に選挙人の自由意思の形成と表明及び選挙の公正の確保もまた憲法上の要求であり、これが確保されてこそ真に国民の代表者たりうる者の選出が可能であり、民主政治の発達につながるものであることを考えれば、選挙の公正確保等のため国会が選挙運動に対する法規制をしても、その規制が必要かつ合理的な範囲内のものに止まる限り、憲法に違反することはないものというべきである。

このような観点にたつて公選法一四二条の規定をみると、同条は選挙運動の種別毎に選挙運動のため使用する文書のうち頒布できるものの種類、形状、数、頒布方法などを一定範囲内のものに止め、これ以外の文書の頒布を禁じているのであるから同条が選挙運動の場面とはいえ表現の自由を制約すること明らかであるが、他方これを立候補者ないし選挙運動者の自由に任せるときは、紙爆弾とかビラ公害とか称されるような過当な競争を招き、印刷、配布等の費用を要する文書それ自体の性格とも相俟ち過大な費用と労力を必要とする結果となり、かくては立候補者側の資力及び組織力、動員力の優劣が選挙結果に不当な影響を及ぼして選挙の公正等を害するおそれが当然予想されるうえ、これが過剰に行われることによる選挙人への迷惑、ビラ公害、中傷文書の横行等の副次的幣害もこれまた否定できないところである。そして、公選法一四二条は表現の内容それ自体を規制したものでないことはもとより、選挙運動の手段方法の一つである選挙運動用文書の頒布につき一定の範囲内の規制をしたに止まるもので、当時衆議院議員選挙につき同条一項一号の、参議院議員選挙につき同項二号の範囲内での頒布が許容されており、その許容範囲も相当程度に及び、これが実質的に文書頒布による表現の機会を奪うに等しい内容のものとは到底いい難いばかりでなく、公選法上、他にラジオ・テレビによる政見放送、立会演説会、個人演説会、街頭演説など選挙運動のための意見表明の手段、機会が認められているほか、戸別訪問にならない個々の面接、電話による投票依頼等についても格別規制がなく、加えて選挙管理委員会による選挙公報の発行、配布、新聞広告等もなされていることを併せ考慮すれば、立候補者側が主義・主張を訴え、また選挙人が自由に投票意思を形成するに足る資料は与えられているとみて妨げはなく、前示文書頒布の規制を含め、民主政治発達のための言論活動が抑止されているとは到底認め難いばかりでなく、前示法定外文書の規制によつて失なわれる利益とこれにより確保される利益を比較較量してみても前者の方がより大きいとは認められないのである。これを要するに、公選法一四二条の規制目的が正当であり、かつその規制と規制目的との間に合理的関連性も肯認できると共に、その規制の程度も合理的かつ必要な限度を超えるものとは認められないから、同法条が憲法二一条に違反するものとは認められないのである。

所論は、選挙費用多額化の幣害は法定費用の制限によるべきものである旨主張するところ、それが最も直截な方法であることに疑いはないのであるが、しかし右の幣害防止の方策がそれに限られなければならない理由はなく、各種選挙運動のうち文書頒布についてはこれを放任すれば過熱化し前示の幣害が予想されるところから、これを一部規制し、いわば支出の面から法定費用の制限の補完的役割を果させることもなお合理的なものと解されるのである。もともと、所論引用のバックリー判決が指摘するとおり、今日の社会への思想伝達手段が事実上金銭の支出を必要としていることに徴すれば、費用の制限もまた必然的に表現の量を減じ、実質的な抑制を課すことになることは否めないところであつて、公選法の法定費用の限度ととりうる選挙運動の諸方法を考慮しながら、その一つである文書頒布につき一部規制を課し、立候補者側のとりうる選択の幅を狭めたからといつて、それが必要かつ合理的な範囲のものに止まる以上不当とはいえないものというべきである。

また、所論は前示副次的幣害についても他のとるべき手立てがあるから規制が不当である旨主張するが、もともと前示幣害防止に加えてそのような副次的幣害の抑止もできる点でも合理性があるというに過ぎないのであつて、他に手立てがあることは前示規制を不合理とするものではない。

所論は更に、被告人の本件行為が一選挙人の自主的な活動としてなされたことを前提に、公選法一四二条が立候補者以外の選挙人をもその規制の対象とし、一般選挙人の自主的な選挙活動の機会を奪つているのは、選挙人の政治的表現の機会、ひいて政治参加の機会を奪うもので不当である旨主張する。

しかしながら、前示のとおり被告人が頒布した文書中file_49.jpgの文書は被告人個人が作成したものであるが、file_50.jpgないしfile_51.jpgの文書は各立候補者の後援会組織等の作成にかかるもので、被告人は、これを入手して頒布し、しかも、陶山候補についてはともかく、中山、小泉両候補については十分知らないまま陶山候補と同じ日本共産党の公認候補ということから、併せて投票依頼をしているのであつて、これが被告人の自発的意思に基づく選挙運動の実態であつて、立候補者と全く係りのない本来的な意味での選挙人の自発的選挙活動といえるか疑わしいばかりでなく、そもそも、選挙運動に関し誰に対しどのような規制をするかは、その国の選挙の実態や国情、更には歴史的背景等を踏まえて決せられるものであるところ、この点につき公選法は立候補とその人に当選を得しめるため投票を得若しくは得しめる目的をもつて、直接または間接に必要かつ有利な周旋、勧誘若しくは誘導その他諸般の行為をなす者すなわち選挙運動者の行為とを区別せず、規制の対象としているのであるが、これはわが国の選挙実態、また被告人の本件行為に象徴される自主的活動の実態等に徴しても、合理的であつて、選挙の公正の確保に資するのであるから、何ら不当とはいえない。

その他所論に鑑み、更に検討しても公選法一四二条が憲法二一条に違反するとは認められず、原判決に法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。

六憲法三一条違反(連名の控訴趣意第四)

所論は、要するに、原判決が適用した公選法一四二条、二四三条三号(前示改正前のもの)は、(1)保護法益が不明確なうえ、他の重要な法益を著しく侵害し、(2)また如何なる文書が法定外文書に該当し、如何なる行為態様のものが頒布に当たるか極めて不明確であり、明確性の原則を定める憲法三一条に違反した無効の規定であるから、原判決には法令適用の誤りがある、というのである。

しかしながら、右公選法の規定の保護法益が選挙の公正の確保等にあり、これが他の重要な法益を著しく侵害するものでないことは前記説示のとおりであるから(1)の点は理由がないし、(2)の点についても、前示のような同条項及び公選法の趣旨、目的(なお、同法一条)、文理、更には別途同法一四六条の規定が設けられていることとの関連等に徴すると、「選挙運動のため使用する文書図画」とは文書の外形、内容自体から選挙運動のため使用すると推知される文書をいうと解されるし、なお選挙運動についても選挙運動者につき前示に説示したとおり解され、更に「頒布」の意義についても先に説示のとおり解されるのであつて、右のような解釈は通常の判断能力を有する一般人の理解においてその適用の可否の判断を可能ならしめる基準を示していることに疑いはなく、なお、被告人において本件行為が公選法に違反することを知らなかつたとしても、それは公選法一四二条、二四三条三号の規定の存在を知らなかったことに由来するものであつて、同条項の規定が明確性を欠くことに由来するものでもないことも明らかであり、これが所論の証左となるものではない。従つて、同条項が憲法三一条に違反するものでないことは明らかであつて、論旨は理由がない。

七憲法二一条の適用違憲(連名の控訴趣意第三)

所論は、要するに、本件は(1)被告人が自己の行為が公選法に違反することの意識もなく、(2)全く一市民としての自主的、自発的活動としてなしたもので、(3)公選法一四二条が目的とする選挙の自由公正を何ら害していないのであるから、同条は適用されるべきでないのに、同条を適用した原判決には憲法二一条に違反した法令適用の誤りがある、というのである。

しかしながら、(1)は責任の有無の問題であつて、公選法一四二条の適用が憲法二一条に違反するか否かと直接の係わりがないし、(2)の点についても本件所為が所論のような自主的、自発的行為と認めうるものか疑わしいばかりでなく、立候補者の行為と選挙運動者の行為とを区別しないのが公選法の立法趣旨であり、それが憲法に違反しないこと前記説示のとおりであり、更に現実に選挙の自由公正を害したか否かは公選法一四二条の問うところではないから(3)の点も理由がない。論旨は理由がない。

第二検察官の控訴趣意について

所論は、量刑不当の主張であり、要するに、被告人に対して罰金三万円に処しながら、公選法二五二条一項所定の選挙権及び被選挙権を有しない旨の規定を適用しないとの言い渡しをした原判決の量刑は、その犯情等に照らし著しく軽きに失し不当である、というのである。

そこで検討するに、本件は公立高校の教諭である被告人が昭和五五年六月施行の衆、参同日選挙に当り、かつての教え子一五名に対し原判示内容の法定外文書合計四〇枚を郵送頒布したという事案であるところ、自己の信条はともかく生徒に対しては中立的立場をとることが要請される教師である被告人が既に卒業したとはいえ二〇歳になつて程なく、国政選挙に初めて臨む被頒布者らに対し、在校中、陶山候補が他の教師の配転撤回問題に尽力したことなどを引き合いに出し特定政党の特定候補者及び自らも良く知らない同じ政党の候補者二名への投票を依頼することは、自己の立場を利用した、しかも著しく教育的配慮をも欠いた行為として強い非難を免れないし、このような形で被頒布者らを巻き込む結果となつたのに、原審審理の過程においては捜査の不当を追及するに急な余り、その端緒を探索するかの如き態度がみられ穏当を欠くきらいがないでもないこと原判決が説示するとおりである(弁護人は、右は事実を誤認したものである旨主張しているが、関係証拠に徴し、理由がない。)。

しかしながら、本件がいわゆる形式犯に属する行為であり、選挙の公正を害する程度も低いことや、事案自体としても小規模であり、これが組織的、計画的に行われたとか、これに深く係つているとか、被告人が公選法違反の行為であることを知りながら本件行為をなしたとかの事実を認めるに足りないこと前記説示の点から明らかであり、これらの点に被告人は本件後は同種行為を差し控え、今後も違法と言われるのを無視して行う意思はないとも述べ、被告人なりの自覚と反省をしていることも窺われること、公立高校教師として平素は真面目に勤務しており、もとより何らの前科歴もないことなど有利ないし斟酌すべき事情も認められる。

以上の諸事情、その他検察官指摘の諸事情を総合考慮すると、被告人を罰金三万円に処しながら公選法二五二条一項の規定を適用しない旨言い渡した原判決の量刑は、公民権を全く停止しなかつた点において些か軽きの感を免れないが、これを破棄して是正しなければならない程軽きに失しているとまでは認められない。論旨は理由がない。

第三結論

以上説示のとおりで本件各控訴は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官高木典雄 裁判官太田浩 裁判官田中亮一)

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